女優 沢村貞子さんは365日の献立日記の著者

NHKの365日の献立日記という番組は知ってますか?その番組の献立のもとになったのは、明治生まれの女優・沢村貞子(さわむらさだこ)さんです。

 

私が、この沢村貞子さんを知ったのは、小学生時代に母の書棚に2冊だけあった『わたしの茶の間』というと『わたしの三面鏡』という単行本からなんです。

それから20年以上過ぎて、何の気なしで本を見たら、テンポよく読みやすい文面に引き込まれ、知らない昔の世界を覗き見し、面白かったことが始まりでした。

もっと早く読めばよかった~!

こんな面白い本を書く沢村貞子さんて、テレビなどで名前だけは聞いたことがあったのですが、自分で調べたところ、様々な本を出していて、ご本人の女優になるまでの過程も書かれていて、楽しいものばかりではありませんでした。

名前の由来も、お兄さんが先に役者をしていて、沢村国太郎と名乗っていたところから、沢村姓をもらい、本名・「ていこ」を『さだこ』と読ませたそうです。簡単な家系図を書いたので見てください。

沢村貞子さんという人

沢村貞子こと、

本名 大橋貞子(おおはしていこ)1908(明治41)年~1996(平成8)年没。

昭和に名脇役として活躍し、姑役のイメージが濃い。自身のエッセー「私の浅草」や、「貝の歌」が原作となり、NHK朝ドラにもなる。他にもエッセイが多数。

ご本人の写真が少ないので、似顔絵のようなものを書いたのでご了承くださいね。イメージです。着物をふだんもお召しになってます。

芸の家庭に生まれ、父は劇作家、兄と弟は役者、姉は父方の身内に養子になり、沢村貞子さんは、母とともに、家庭を手伝い、子役の弟のマネージャーをしていました。

少女時代に、関東大震災を経験します。学校の先生になりたくて女学校と高等女学校に行くのですが、先生の世界もギスギスしていて、思ったものと違いショックを受け、夢が破れてしまいます。

その夢をバッサリ諦めます。(この諦めいいところが下町女の、良くて悪いとこらしい)女優を目指します。

女優になるために劇団に入りますが、これまた純情乙女の、沢村貞子さん。演劇を学ぶ為に、入った新劇で、労働者の権利を守る左翼の活動に感銘し、はまってしまいます。

そのため、演劇の稽古も満足受けられず、(これがのちに苦労する)舞台を踏むことなく、どさまわりをさせられてしまいます。

そこから、泥沼のように、好きでもない劇団員の先輩と結婚させられたり、治安維持法にひっかかり連行されたり、独房に入れられたり、拷問をうけたり、信じた夫に裏切られたり、裁判にでたり、敗訴したり…

いくら自分で選んだとはいえ、めちゃめちゃな20代前半でした。それが “貝のうた” という本に生々しくびっしり書いてあります ”貝のうた” は、後半、読みたくない暗い話が結構続く本でした。

沢村貞子さんは、人生で3回ご結婚されてます。一番目は、先ほど出た劇団の先輩・今村重雄さん。二番目は、俳優の藤原釜足さん。三番目は、映画評論家・大橋恭彦さん。

一番目と二番目の旦那様は、沢村貞子さんのエッセイにもサラっと出ていたくらいの方々です。

三番目の大橋恭彦さんとは、語弊ありますが、ダブル不倫の末、一緒になったこともあり、周りに迷惑をかけたと、子供を持たずに、相当の覚悟と愛情があって大橋さんと一緒になりました。

彼を看取るまでに至ってます。私は、この大橋さんとの生活が、沢村貞子さんの人生の中で一番幸せだったとご本人が強く感じていたと思います。

私も沢村貞子さんの文章からそれを痛感しました。

大橋さんと出会ってからの沢村貞子さんが、エッセイイストとして活躍します。1977(昭和52)年には『私の浅草』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞してます。

そして、この大橋さんとの50年ほどの間に、沢村貞子さんは、女優業をしながら、家庭ではたくさんの手料理を毎日丁寧にこしらえて大橋さんと頂きます。

年齢もあまり若くない中、よく特殊な仕事と家事の両立をしてきたんだなあ~

と、ため息がでます。

食べ物だけはこだわり、身体が資本という思いや、あと何年生きるか分からないが、せめて美味しいものを少しでもと楽しもうという思いから、食材にもこだわります。

例えば、牛肉・旬の魚、ウナギ・イセエビ・鯛など。まあ、それだけでなく、大根・きゅうり・トマトなど季節の野菜もしっかり、天ぷらは揚げたてを旦那様に、みそ汁も毎日出汁をとり、ぬか漬けも毎日せっせと面倒をみながら。

そして、日々の献立日記をつけるようになりました。その数36冊。(プラス1冊)本にもなってます!それが冒頭の、NHK365日の献立日記なんです。

沢村貞子さんは、81歳で女優を引退します。

そして、大橋夫妻は80代になってから、40年住み慣れた東京の家から “海をみながらゆっくり暮らそう” と、海と山が見える葉山のマンション8階へ引っ越します。

大決心ですよね!自分がその年代まで生きてたとして、住み慣れた場所から動く気力・体力はあるだろうか…。

葉山のマンションで海を眺め、夫婦の時間を挨拶や会話を大切に、穏やかに過ごしていても、別れがやってきます。

2歳下の旦那さんである大橋さんが、1994(平成6)年7月、亡くなります。享年84歳。

沢村貞子さんは、1996(平成8)年8月、亡くなります。享年88歳。夫婦のたっての願いで、二人一緒に、相模の海に散骨されたそうです。

海にお二人の粉々のお骨が、喜び、恥ずかしそうに花とともに、海に消えていった様子が、マネージャーの山崎洋子さんの本『沢村貞子というひと』に記してありました。

壮絶な時代と人生を、強く・たくましく・潔く生き抜いたんだなと拍手を贈ります。

 

生前にきちんと、散骨について夫婦で話し合っておいたところが大変重要で、私もそのように自分の先をきちんと考えようとおもってます。

沢村貞子さんの本から、40代の私は人生について、生活について、いろんなことを学びました。

 

その中の一つ。著書『わたしの台所』【長生きはお好き?】より。

梅酒のときの瓶に残った梅の使い方も。『種を取って裏ごしにかけ、2/3ほどの砂糖を加えてとろ火でゆっくり練り上げ、梅ジャムをこしらえる』これもけっこう美味しい

というところがあって、無駄がなくて、為になりますね!

実際、やってみました!市販の梅酒のものなんですが。

反射式ストーブの上でコトコト。部屋中に梅酒の香りぷ~ん、酔いそうでした(笑)。

自分で食べるから、裏ごしもしない!それが、つぶつぶ入ってかえって美味しい!夫が、梅ソーダにしたら?というので、大匙2杯入れてソーダ水を注いで飲んだら、美味しい!

貞子さん、やって良かったです!

 

沢村貞子さんは、梅干しも作っていたところもあったのですが、天日干しまではうまくいっても、女優という仕事柄、(帰りがバラバラだったんでしょう)三日三晩の土用干しがうまくいかなかったりして、やめてしまって、和歌山から、美味しいのをお取り寄せしたそうです。

私も梅干しに挑戦してみましたが、自宅の環境が整わず断念。ネットで梅干しの「こわれ梅」を買ってまーす!昔ながらの酸っぱしょっぱい、箸の先の梅でご飯一口いけるんですよ!

 

あとがき

沢村貞子さんと旦那様の大橋さんをパッとイメージすると、リストの『愛の歌』でした。その隣には大橋さんが寄り添う感じで。

本当は、紹介しきれないくらい、沢村貞子さん的な丁寧な暮らしがあるんです。

また今度にしますね!

読んで頂き、ありがとうございました!

 

 

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